石炭産業の歴史 声の博物館 近代化遺産 大牟田の見どころ
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進化を目指す人と文化、技術に彩られた
  日本の明治、大正、そして昭和。
  炭坑の街・大牟田はその中心に
  ありました。
  時代の情熱を伝える建造物は、
  今も近代日本の夢を語り続けています。

 
当時、東洋一の高さを誇る大牟田のシンボル
J工場  このJ工場は、昭和13年(1938)に建てられ、当時「東洋一」の高さを誇り大牟田のシンボルともいわれました。高さ47メートル、鉄筋コンクリート造陸屋根7階建で、ドイツなどの化学工場を視察して建てられたものです。 上の階から順次原材料を落としていくことにより、動力なしで次の化学反応の工程へ進めるという合理性・経済性を持っていて、昭和9年(1934)から昭和13年(1938)までの足かけ5年をかけて建設されました。現在のオープンスペ-スにプラントを配置する方式と対照的な建物は、化学工業技術史上、貴重なものといえます。
J工場を望む  三井化学は、三井鉱山が明治25年10月(1892)に、コークス(焦媒)の生産試験のため、三池横須浜にビーハイブ式コークス炉4基を新設したことに始まります。明治45年(1897)にコークス製造時の副産物を利用して硫安の生産を開始、さらに大正4年7月(1915)には 染料工場も竣工し、日本初の合成染料アリザリンレッドの生産も開始しました。大正7年8月15日(1918)、三井鉱山株式会社の管理組織の改正により三池染料工業所となりました。

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