石炭産業の歴史 声の博物館 近代化遺産 大牟田の見どころ
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進化を目指す人と文化、技術に彩られた
  日本の明治、大正、そして昭和。
  炭坑の街・大牟田はその中心に
  ありました。
  時代の情熱を伝える建造物は、
  今も近代日本の夢を語り続けています。

 
勝立にある山の神社跡
山の神社跡(市内勝立)  山の神社は、三池炭鉱の氏神として祭られていました。祭神は愛媛県にある大山祇大神で、坑内に下がる前に山の神に向かって拝礼し安全祈願を行ったり、正月の三社参りの一つとして参られたりしていました。しかし、 平成9年(1997)の三池炭鉱閉山後は、管理なども行われていないようです。
 神社創立の年代は不明瞭ですが、いくつかある山の神社の中で最も古いものが新勝立町(市民の森・帝京大学福岡医療技術学部西側)のようです。吉田辰次郎他によって明治38年7月9日(1905) に建立・奉納されています。また、その鳥居は大正5年9月(1916)の大祭前に、勝立採鉱夫有志などの寄付金などにより建立されています。
万田坑の近くにあった山の神社
山の神社(万田坑近く)  また、勝立の鳥居が建立された大正5年9月(1905)には、万田坑夫の間で山の神祠堂建設が持ち上がり、長屋や外来坑夫の寄付金二百数十円と会社の補助金九十円により祠堂が新設されました。ほかにも、宮浦坑、四山坑 などにも建立されています。(参考資料「大牟田市史」)
山の神社(万田坑近く)  写真は、昭和50年に撮影されたもので、荒尾市万田炭鉱館に展示されています。
上の写真は全景
左の写真は境内

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