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進化を目指す人と文化、技術に彩られた |
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日本の明治、大正、そして昭和。 |
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炭坑の街・大牟田はその中心に |
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ありました。 |
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時代の情熱を伝える建造物は、 |
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今も近代日本の夢を語り続けています。 |
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旧三池集治監外塀 |
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三池炭鉱は、明治6年(1883)から明治21年(1888)まで官営でしたが、その初期から採炭作業に囚人が使役されていました。囚人労働は、三池炭鉱が三井に払い下げられた後も引き継がれ、昭和6年(1931)に停止されるまで継続しました。
この囚人たちを収監したところが三池集治監です。集治監の収容定員は2,000名であり、明治17年(1884)末で666名、以後増加し、明治30年(1897)には最高の2,166名となりました。三池集治監は、明治39年(1906)に三池監獄、明治41年(1908)に三池刑務所と改称しました。
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この集治監の周りを囲った高塀が今も一部残っています。高さ5~6メートル、長さにして約600メートルのれんが造りです。戦後にモルタルが吹き付けられましたが、現在では剥落した部分が相当あって赤れんが積みが観察できます。
集治監の跡には、私立の三井工業学校が移転してきたのち、現在は福岡県立三池工業高校が設置されています。
県内に唯一残る集治監跡として、また炭坑労働の厳しさを知る遺構として重要で、現存する外壁と石垣は、平成8年(1996)に近代化遺産として福岡県有形文化財に指定されました。
参考資料 福岡県の近代化遺産、大牟田宝もの100選 |
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