石炭産業の歴史 声の博物館 近代化遺産 大牟田の見どころ
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進化を目指す人と文化、技術に彩られた
  日本の明治、大正、そして昭和。
  炭坑の街・大牟田はその中心に
  ありました。
  時代の情熱を伝える建造物は、
  今も近代日本の夢を語り続けています。

 
三池炭鉱宮浦坑跡(宮浦石炭記念公園)
大正時代の宮浦坑 大正時代の宮浦坑の写真です。明治21年(1888)の竣工から昭和43年(1968)の閉坑までの80年間に三池炭鉱の主力坑口の一つとして約4000万トンの石炭を産出しました。特に大正12年に開設された大斜坑は、わが国で初めてベルトコンベアによる連続揚炭を実用化した坑口として知られています。宮浦坑の回りには、三池染料工業所、三池製錬所など、石炭を原料とする化学コンビナートが形成されていきました。このコンビナートは、日本最古のものと言われています。

写真 三井三池各事業所写真帖より
撮影 町田定明氏
開坑 明治20年(1887)2月
閉坑 昭和43年(1968)
その他 現在は、宮浦石炭記念公園として整備されています。
宮浦石炭記念公園の煙突
宮浦石炭記念公園の煙突 現在の宮浦石炭記念公園の煙突です。煙突は、高さ31.2メートル、上部直径2.9メートル、基部直径4.3メートル、平成10年1月16日に国登録文化財(建造物)として登録されました。

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